龍馬伝 仁 と 面白い時代劇が続きましましたが
登場する人物のどこに轢かれるのか考えてみますと
それは 壮大な矛盾を抱えることが出来ること
ではないかと思うんですね
言い方を変えると 何事も割り切って考えるということは
魂の弱さであるとも言えるわけです
良く言われる 器が小さいね~ というやつです
人の意見という奴は ご存じの通りやっかいでしてね
千差万別の意見があるかと思うと
どんな意見にも反対することで自分の正当性を訴える人もいれば
平和 幸福 反戦といった言葉を使って ものごとの本質を覆い隠し
あたかも立派なことを言っているようで 中身が無い話をする人もいる
さらに 話の内容には見向きもせず あんな人の言うことは
全く信用なんか出来ないと 話し手の人格を否定してしまう人もいます
こんな状況の中であっても
堂々と 正・反・合のプロセスを通じて対話を繰り返し
意見を戦わせる討論というものではなくて
意見を交換するといった議論でもない
お互いの思考が深まってゆく創造的な対話をすることが出来る輩こそが
器の大きい人物ということになるのではないでしょうかね
・・・ 実は
未来を予見するには この創造的な対話をする度胸が
とても重要ではないかと思っているんです
・・・ なぜなら
自分の意見と正反対の人とでも
普通に話を聞くことが出来て
お互いに 会話を通じて新しい発想に辿り着けるとしたなら
これこそ 新しい未来を予見すること
そのものではないかと思うわけです
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